バートルビーとはアメリカの作家ハーマン・メルヴィルが1853年に発表した短編小説「書記バートルビー」の登場人物(主人公?)である。
後に書けなくなった作家を意味するものとしてバートルビー症候群という言葉までも生まれた。
過去三回映画化もされている。(1969,1976,2001)
バートルビーとは全否定で生きる究極の世捨て人
まず私がこのバートルビーを知ったきっかけはこの本を読んだからだ。
当時の私は(今もだが)とにかく働きたくなかった!
働かないでのんべんだらりと生活していける方法はないかと模索し続けていた。
そんな時に図書館でたまたまみつけたシンプルなタイトルにして大変分厚い本著の中に紹介されたバートルビーの生き方に衝撃を受けた。
バートルビーは小説の中のキャラクターなので実存した人物ではないのだが、この本にはリアルも架空もごっちゃにいろんなケースの怠け者が紹介されていたので、妙な共鳴を覚えると共に、最も印象に残った人物が"彼"だった。
厳密にいうとバートルビーは働かない怠け者というわけではなくて、どちらかというと哲学的な生き方としての象徴のようなものであり、要するに生産的に動くことを良しとせず、堂々と何もしないことを穏やかに主張する究極の世捨て人なのだ。
口癖は「~しない方がいい」の一点張りに終始し、これがことごとく上司の命令に対してだから尚更面白い。
雇い主「ちょっと買い物に行って来てくれないか?」
バートルビー「私は行かない方が良いと思います」
そう言って静かに自分の席に戻って黙々と与えられた最低限の仕事だけに取り組むのです。
雇い主は偏屈なバートルビーに怒り戸惑いながらも、どこかその佇まいに同情とも保護欲ともない複雑な感情に包まれ、寛大な良き理解者であろうともするのですが、あまりに人としての感情に欠落した不可解極まりない奇人変人に愛想を尽かし、なんとか事務所から追い出そうと画策しますが、バートルビーは静かにそこに24時間居座り続けます。
シニカルでコミカルにもとれる内容で、非常に優れた短編であり作品の評価は今も尚高い。
バートルビー的何もしない生き方
実際にバートルビーのように全てに背いて生きるというのは極めて困難であると共に、孤立無援状態を自ら作り出して殻に閉じこもる現代の引き籠りそのものの姿でもある。
それは究極のアウトローであり、そのへんの不良や反社者なんかわけないくらいに最も尖った生き方であり、誰にも従わない最弱にして最恐の無頼漢なのである。
頼まれごとは全て拒否し、善意からの助言すら全て突っぱねる。
俗世間とはいっさい隔絶し、趣味も欲もなく、ただそこに居るだけという存在。
同調しない代わりに主張もしない。
従わない代わりに誰も従えない。
悪い事をしない代わりに良い事もしない。
笑わない代わりに怒り悲しむ事もない。
何もしない代わりに何も望まない。
これほど一貫してスジの通った人物にはもはや何も言えやしないだろう。
↓ 究極のないないソング
何かをするよりも、しない方が良い事もある
能動的に生きよと往々にして人は言う。
生産的に生きる事こそが善であり、非生産は罪であり悪であると。
だから休日に何処へも行かずに家で寝て過ごしてしまうと、自ら言われなき罪悪感に襲われる。
誰にも迷惑かけていないのに。
クリエイティブは素晴らしい。
病気でもないのに怠惰に惰眠を貪るのは人間失格。
そのような価値観を刷り込まれた我々は日々生き辛さを抱えながら何に対して苦しいのかも解らずになんとなく呼吸しながら生命を維持している。
一日中苦行に耐えてこそ、ようやく眠る事が許されるかのようにして。
でももし必ずしも何かをするよりも、しない方が良いこともあるという事実に気付くことが出来たのなら‥、堂々と休めばいい。自信満々な不動明王になればいい。
台風で屋根が飛びそうだからって屋根に上って修理するより、しない方がいい。
ノルマを達成するために詐欺をして顧客を得るよりも、今月は諦めた方がいい。
足りないものがあるからと夜間にコンビニに出掛けるより、早く寝た方がいい。
何かをするよりも、しない方が結果として良い事も意外と結構あるものだ。
人畜無害に生きること。
ゆったりとした時空を形成しながら、動かない自由をただ彷徨うというのも、悪くはない。
現代のバートルビー的生き方を実行してる人の代表格はこの人か?↓