はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
僕は男のくせに子供の頃にピアノを習ってました。
まだそうゆう偏見のある時代でした。
最初は個人レッスンだったんだけど、しばらくしてから合同部屋に移って、女の子ばかりで男の子が一人もいない状況となり、通うのがすごく嫌でした。
一年生になったばかりの頃だったかな、ピアノ教室のひとつ年上の女の子にデートに誘われて、僕は行きたくなかったんだけど家族にヒューヒューひやかされながら背中を押されて、約束の彼女の家の前まで(結構遠い)出向いて行ったんだ。
すると彼女は生意気すぎる大きな家の窓から門の外にいるこちらを見下ろして、クスクスと笑いながらもいっこうに家からは出てこなかった。
状況がよく解らなくて30分~一時間ぐらいずっと自転車にまたがりながら彼女の家の前でひたすら待っていた。
おそらくからかわれたのだろう。
なんてひどい奴なんだ。
しかも好きでもないブスにコケにされた事で僕の心は深く傷ついた。
女の子と約束なんて、もうしない。
それでその後また個人レッスンに戻ったんだけど、バイエルの下巻の途中までやった記憶があるのですが、急激にどんどん難しくなってきて嫌になったというのもあり、野球部に入って忙しくなったのを理由に三年生で辞めちゃいました。
今思えばもう少し続けてればよかったなとも思いますが、その時はピアノなんて習ってるのは軟弱でダサくて恥ずかしいという気持ちが結構あって、正直もっと早く辞めたかったのです。(クラスでピアノを習ってる男子なんて一人もいなかった)
そもそも姉が習っててついでに始めたようなものだったので、自分の意志ではなかったというのもあり、無理やり習い事に行かされてるふうにしか思ってなかったので、苦痛だったという記憶しかないですね。
やはり習い事というのは子供がやりたいと言ったものをその時にやらせてあげるのが伸びるものだと思います。
僕はピアノよりも習字の習い事に行きたくて、ねだったことがありましたが何故か却下されました。(学校で充分だろってことだったのか?)
今では鍵盤を前にしても伴奏(コード)すらまともに弾けませんし、人がピアノを弾いてる姿を見るとちょっとだけ尊敬してしまいます、素直にすごいなぁ・・と。
だって右の指と左の指が5本全然違う動きしてるんだぜ?
PCのキーボードをブラインドで打つ100万倍はすごいと思います。
ピアノの先生はみんな30歳前後のオバサンだったのですが(子供からしたらオバサンですが、今考えたらそうでもないですねw)、一人ヒステリックなのがいたのを覚えてます。これもやる気を削ぐ大きな一因でした。
だからピアノの先生は絶対に男性の方が適してると思うのですが、やはり数が圧倒的に少ないのでしょう。
バイエルの入った重いカバンを持ちながらピアノ教室に通ったあの頃に戻って人生まるごとやり直したいものですが、あの頃も決して楽しくて幸せだったわけではなくて、カバンと同じくらい重い気持ちを抱えながらてくてく歩いていたような気がします。
間違えたらどうしよう‥とか、練習してないのばれたらどうしよう‥とか、怒られたらどうしよう‥とか考えてたのではなくて、僕はなんで今ピアノ教室に向かって歩いてるんだろう‥とか、僕はなんで今この土地で生きてるのだろう‥とか、僕はなんで今こんなことを考えて歩いているのだろう‥とか、哲学的なことを一番純粋に考えていた時期だったので悩ましかったのです。(6~7才)
子供の才能を伸ばすには興味のある時にソレをやるべきなのだから、僕はあの時ピアノなんて習わずに哲学書でも読むべきだったんじゃないのかと本気で思います。
ピアノなんて全く意味ないですし(哲学はそれ以上に無意味ですが)、よく考えたら意味のあることなんてやっぱり何もないもんな。
人生に意味はないよ、賭けてもいい。
けれどピアノが弾ける人生と、ピアノが弾けない人生だったら、ピアノが弾ける人生の方が少しだけ自信を持って生きれるような気もするから、幼少期の習い事はきっと無駄じゃないのだろう。
でも、やっぱり無駄かな?
ずっと今も、これは無駄か?これは無駄じゃないか?これは意味があるのか?
そんなことばかり考えながら、全部無意味だと嘆いては不貞腐れているのです。
先日父親の遺品整理をしていたら、僕が当時使っていたバイエル教本が出てきて懐かしくて開いて見たら、ページごとに「よくできました」と丸を付けられてた。
もう何をしてもそんなふうに評価されることもなくなった現状に気付く。
褒められることも、次に挑戦することも、今は特に何もない。
久しぶりに前の方のページの簡単なやつを弾いてみようかと思い立ってはみたけれど、誰も見てないのに気恥ずかしくって弾けやしない。
僕はバイエルを閉じて、古雑誌の日にまとめて捨てた。